音楽極楽貧乏生活。

今、我が家は、「音楽極楽貧乏生活」の真っ只中である。
シアワセいっぱい、夢いっぱいである(笑)


今でもよーく憶えている、のち家族となる「ウエダ ヒデキ」と会った頃のこと。
母子家庭で育った彼と理恵ちゃん。
小学生だった理恵ちゃんは、真っ黒に日焼けした活発そうな女の子。
よくマンガを読んでいた。

Empyrean Isles
当時、彼は中学生。
いつもコタツで丸くなり(コタツ年中、出てたイメージ)てんこ盛りの灰皿。
耳元にはラジカセ。
その横には黒のBunnyのストラト
テープの山。
散らかった部屋。
ガリガリでやたら背が高い。
「なんだー、コイツぅー。」これが第一印象である。
風貌も今とあまり変わらないかも?
ちょっと白髪が増えたぐらいで。

いろんなニックネームで呼ばれていたが、中にはもちろん「上田おっさん」も。(笑)
年齢不詳。
何を考えてるんだかわからないタイプ。
まあ、悪いヤツではなさそうである。
かと言って特別いいヤツとも思えないが・・・(笑)

まだまだこの頃、ワタシ達が耳にする音楽はテープにダビングが主流。
ラジオから録った洋楽をかけながら、学ランを脱いだだけの体操服のまま、デカイのが転がっていた。
いつ行っても、そんな感じ。
ただ寝転んでるか、ギター弾いてるか、ゲームしてるか、それが違うだけ(笑)
その頃から「将来、ミュージシャンになりたい!」と熱っぽく語っていた。

ガーシュウィン・ワールド

しかし、人生わからないものである。
ワタシはのちにこの「なんだー、コイツぅー。」と結婚することになるのだ。
彼との結婚生活がはじまって9年目。
今年、娘達が6歳と5歳になる。
不思議な感覚。
ふたりだったワタシ達はアメーバのように細胞分裂し、倍の数に増幅したのである。
彼の横にあったギターはいつしかサックスに変わり。
そして本格的に「音楽極楽貧乏生活」をスタートさせてからは丸1年である。

サチコさんを見送ってからちょうど1年ほどしてから、彼は体調を崩した。
当然と言えば当然である。
ひとりで長い間、がんばって来たのだ。
音楽だけを心の支えにして。

まだ思春期の頃から、若年アルツハイマーになってしまった母親を抱え、8歳も年下の妹を連れて、
ここまで来たのである。
入院前は徘徊し、深夜よく警察から呼び出されたらしい。
時には、火事をおこされそうになったと言う。
年齢が若いため、入院するようになっても、3ヶ月に一度は転院を余儀なくされ、たらい回し。
しょっちゅう病院から呼び出され、車の免許もない時には、自転車に大人用オムツを乗せ、
枚方大橋を渡ったらしい。
自分の母親が寝たきりになったら。
そうなんだ、きっと心もカラダも身動きがとれなくなるのだ。
彼は未だに、飛行機はもちろん新幹線にも乗ったことがない。

スピーク・ライク・ア・チャイルド
ワタシは早急に半年間の休職届を提出。
ジャズを聞きにニューヨーク行きも提案した。(歯医者の予約があると断られたが・・・)
ちょうど昨年の1月のことである。
介護した者の後遺症である。
家族も仕事もなにもかもイヤになるほど、張り詰めたものが解けたのだ。
ほっとしたのかも知れない。
はじめて甘えたのかも知れない。
いくつになっても、やってない反抗期はしなければならないと思う。

「半年間、お金も時間も好きなよーに使って音楽やりっ。」
彼は好きな音楽だけやった。音楽しかできなかった・・・とも言う(笑)

そして、7月からなんとか社会復期!
会社の皆さんに支えられて。(感謝)
現在、時間給で調整しながら、音楽の方も平行して活動中。
音楽で食べて行こうが行くまいが、彼は死ぬまで音楽をやり続けるだろう。
ワタシはそういう人のところへ嫁いで来たのだ。
もちろん、好きなことで食べていければいいに越したことないが、それはそれ。
当分、彼の「音楽極楽貧乏生活」に付き合うつもりである。

ただひとつだけのお願い。
今までは音楽に支えられて生きて来たのかも知れないが、
これからはその音楽で誰かに感動を与えることが出来たり、支えになれたり出来れば素敵だな。

処女航海
この1年でずいぶん彼は変わった。
いい経験だったと思う。
ワタシも成長させてもらった。
暮らしはじめた頃、私の体調が悪く落ち込んでいた時に彼は言った。
「生きてたらそれでいいやん。」
ホンマやんっ。
家族が元気で仲良く生けて行けたら、それがなによりええやん。
いーっぱいいっしょに苦労もしよっ。
その方がええ音出まっせぇー。アニキっ。