考えてみた。

先進国って一体何をもって先進国と言うのか?
もちろん、紙の上の定義があることはなんとなくわかる。
しかし、お金やモノがたくさんあることが、人間としてのシアワセとは決して思えないのだ。
この1年、我が家は貴重な体験をした。
昨年の1月から今月まで、ちょうど丸1年の間、収入が約半分になった。
まあ、勝手になったのではなく、自らそーゆー選択をしたワケだから、厳密に言えば収入を半分にして
みたと言うことになるだろーか。

詳しくは以前、書いた通りなのだが、それはワタシにとっても、彼にとっても、また娘達にとっても、
非常によかったと感じている。
つくづく家族の絆を深めるいい機会になったと本当に喜んでいる。
正直、あと1年ほどは続くだろうと腹を決めていたので、3日前、給料明細を見て驚いた。
なんと早々と正社員に戻ってくれていたのだ。
あー、よかったぁ〜(ホッ)
経済的に助かったのはもちろんのこと、彼がそこまで元気になってくれたことがなにより嬉しかった。
(マックの皆様、本当にアリガトウございました!)

彼は、少し変わっていて、あまり大事なことを言ってくれない。
たとえばこんな事があった。
華の出産の時のこと。
無事出産し、自宅に戻った時。奥の部屋を開けて、びっくりした。
入院前にはなかったどデカイ、ウッドベースが目に飛び込んできたのだ。
「なんじゃ、こりゃあ〜」である。
バーを閉め、屋久島へ渡る友人の餞別に、車を直し、車検代を代わりに支払ったと言う。
そのお礼に置いて行ったとのこと。

また、ある時は、久しぶりに車で出掛けた時。
出先の駐車場に車を止めて、驚いた。
ふたつ仲よさそうに並んで、駐禁の鮮やかな黄色の輪っかがくっついている。
「ははぁ〜ん。それでみんなが、振り向いて見てたのかぁ〜。」と納得。
人間慣れるとコワイ。「なんじゃ、こりゃあ〜」は通り越えてしまうのである。

今回も、正月に「今月から正社員に戻るからっ」って言ってくれていればいいのにと思うのだが、
いいも悪いも言わないものはしょーがない(笑)
言ってくれたら喜んで、言わなくて普通ぐらい思っておかないと楽しくやっていけないハラハラ
どきどきサプライズ夫婦なのだ。
(ワタシもずいぶん鍛えられた・・・。)

そんなこんなでワタシはこの彼のおかげで、ずいぶん強くたくましくなった。
今回の「音楽極楽貧乏生活」もおおいに楽しみ、勉強になった。
もう少し続いてもよかったのにっと思うぐらいである。(ワタシはMだなっ、きっと)
だってだって素敵な発見をたくさん経験できたのだ。
皆さんにも是非おすすめしたいほどである。
特にわざわざ貧乏にならなくても(笑)こころ豊かな節約生活のすすめなーんて素敵。
節約の楽しみにもハマリ、無駄なモノも見えてきた。
暮らしがシンプルになった。
工夫する知恵もついた。
ちょっと主婦業に磨きがかかったのではないかと自負している。
なによりも、身を持って生きるために本当に大切なことを感じることができた。
また、たくさんの方に支えて頂いていることも。

お金なんかたくさんなくたって全然いいのだ。
食べて行けるだけ、困らない程度にあればそれでいい。
家族が仲良く健康であること。
それがあればシアワセである。


もしも、家族が病気になったとしても、病気に負けない強さと明るさとおおらかさがあれば
大丈夫であーる。
最終的には「ココロが大切」なのである。
それが、再認識できただけでも、彼に感謝である(笑)
娘達にも、この1年間そう伝えてきたつもりである。
彼女達はワタシなんかよりもずっとココロが広く、休んでいた半年間、彼を励まし、理解し続けた。
ワタシにも優しいいたわりの言葉を惜しげもなく掛けてくれた。


「お父さんが悪いんじゃないよ。病気がそうさせてるんだから。一番苦しいのはお父さんなんだよ。」
そう伝えると彼女達は、毎晩寝るとき必ずおふとんの中で
「お父さんのおこりんぼ病が治りますよーに。」と祈ってくれていた。
(おこりんぼ病はワタシが命名した。いいネーミングでしょ?)

今朝の新聞にこんな記事が載っていた。
モンゴルでは4歳になると、親族らが集まり伝統の「断髪式」が行われるらしい。
子供が一人前になったことを祝い、髪にハサミを入れる。
その際、決まって唱える祝詞(ユルール)があるとのこと。
「長生きして/ずっとシアワセで/父に恩を返し/母を助け/国のために役立ち/人々のために役立ち、
自ら先頭を行くんだよ」
よい草を求め、季節ごとに移住する遊牧の生活では、いずれモノは壊れる。
だから、次の世代へ確かに伝え残す「ココロ」と「言葉」を大切にするのだろう。

またココロの満足度やシアワセと感じている度と、子供達が夢を持っているかどーかのある
アンケート結果。

どちらも、先進国とは言えない、いわゆる貧しいとされる国が上位を占め、わが日本はさんざんな
結果だったと言う記事を読んだこともあった。


              「ココロ」と「言葉」。コトダマ。

続きにはこうあった。
言葉には2種類あって、ひとつは相手をののしり、争う時の「負(マイナス)の言葉」
もうひとつは、人を励まし、思いやる「正(プラス)の言葉」と。
モノのあふれかえる日本にいるワタシは、目に見えない宝物。
ココロのこもった正(プラス)の言葉を特に大切に意識して行きたい。
彼女達のように。


そして、お金があるからシアワセなどと言う「相対的なシアワセ」を求めるのではなく、
ココロの中になにがあっても負けない「絶対的なシアワセ」を優先させて行きたい。

          お給料が元に戻る事にはなったが、せっかくなのでこれからも
              「音楽極楽貧乏生活」を続けて行こうと思う。




             日本も「ココロ」の先進国になったらええなあー。



              スージー宅を真似て朝はホットサンドで決まりっ。